2013年 12月 04日
<クラシックの記録>NO.12 スメタナ ♫~チェコ 音楽の父~♫
おはようございます
今日も快晴 気持のよい青空
岩手山も きれいに見えます
最低気温は-2度 日中は9度まで上がる予想
寒いけど 窓を少し開けて 新鮮な空気を入れたいです
ここ数日は スメタナを聴いていました
だれでも聴いたことのあるあの印象的な旋律
我が祖国の第2曲モルダウは
プラハの美しい街並みを 思わせるような
祖国への愛情に溢れる曲想です
べドルジフ・スメタナ
1824~1884 ボヘミア出身
ビール醸造人の父親の三番目の妻の子として生まれ、幼い頃から楽才を顕し
アマチュアヴァイオリニストの父の指導のもと 6歳でピアニストとしてデビュー
8歳で最初の作品を書く。15歳でプラハの名門校に入学、学業よりコンサート
などに夢中になり 学校を変わる。その音楽的才能は上流階級の間でもてはやされ
10代でしばしば舞踏会で演奏していた
18歳でようやく卒業した後は 金銭面での苦労などもあり
容易に名声を得ることはできなかった。
当時オーストリアの支配下にあったボヘミアの革命の賛同者でもあった彼は
革命の失敗後はスウエーデンに移り、そこで成功する
その後 二度目にプラハに戻った 1866年オペラで成功を博したが
1874年ごろから体調を崩し聴力を失う
そして 聴力を失ってから完成したのが 交響詩<我が祖国>である
(CD付録冊子より抜粋)
収録曲
連作交響詩 <我が祖国>より 2~4
オペラ <売られた花嫁>より
ボヘミアでの革命活動を初めとし
スウエーデンで過ごした数年間も 祖国を想い続け
祖国の同胞への管弦楽の記念碑となる作品を作りたい
と言う夢を この<我が祖国>で 完成させた
5年間という長きにわたって作られたこの作品は
祖国チェコへの 賛歌として書きあげられ
このことでスメタナは
チェコ音楽の父と呼ばれるようになる
ピアノにおいてはリストに 作曲においてはモーツアルトのようになる
とは 若い頃のスメタナの言葉だそうです
スメタナの祖国チェコ・・美しい街プラハ・・いつか行ってみたい国です
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