2015年 05月 08日
☆~勿来の関~源義家~斎藤茂吉☆
夫は何度か行っているところですが
私は初めてです
立派な建物・・関所を再現したのかな?と思って入ってみると
貴族の館・・神殿つくりを再現した建物でした
関所跡は何処?
裏へ抜けて、海の見える丘の上に出ると
源義家の歌碑
聞いたことがあります
義家は 通称八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)(1039-1106)とも言われ
鎮守府将軍頼義の長男として平安時代に生まれました。
父とともに1051年より前九年の役で戦い
陸奥の豪族安部貞任(あべのさだとう)らを討ち
その功により、従五位下出羽守に任ぜられました。
奥州に向かう際、この勿来の関(現福島県いわき市勿来)詠んだ歌 で
千載集にも載っている有名な和歌です。
盛岡に居る時、前九年という住所に住んでおりました
そして近くに安倍館という町名も残っています
訪れたいろいろな場所が 、歴史でつながっているって
とても興味深いことで、もっと知りたくなってきます^^
ところで関所ですが
道路を渡って義家の像のあるところから
少し歩くと
弓掛の松
そして勿来の関跡・・・やっとありました
関東の宮と
奥州の宮
勿来は・・・な~こそ、という古語から来ているのかどうかは不明
そうであれば、来るなという意味になり
この先は奥州の厳しい自然が待っているからでしょうか?
この地にあったという確たる証拠も無いとか・・・
古来より歌に詠まれた"なこそ"は 、その意味が主で
考古学上は、勿来の関 とは区別しているとか・・
いろいろ問題はありそうですが
関東と奥州の境にある地で、多くの武将や歌人が
歌を詠んでいることは事実です
白河の関、鼠ヶ関と合わせて、奥州三関ともいわれています
白河の関は、奥の細道の冒頭部分で、あまりにも有名ですね。
平安時代の歌人 能因法師の
都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関 (後拾遺集)は、良く知られています。
勿来の関跡の周囲には、詩歌の道という散歩道があって
歌人や詩人が、勿来の関を詠んだ歌碑が
たくさん 建てられていました
中でも一番初めにあった、茂吉の歌碑が目を引きます
斎藤茂吉・・・山形県上山市出身・・北杜夫の父親としても
よく知られていますね^^
茂吉について詳しくは こちら★
勿来の関から、連想ゲームのように
いろいろ書いてしまいました
歴史って知れば知るほど面白くなりますね。
いろいろな発見もあって
来てみて本当に良かったと思いました。
この後はひたすら帰り道となりました。
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