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あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川・・・智恵子の生家

土曜日、二本松で
大山忠作美術館のあとは、あの智恵子抄で知られる
智恵子の生家に行きました


あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点々があなたのうちの酒蔵。



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高村光太郎と結婚する前の旧姓は長沼です
1886年(明治19年)
当時現在の二本松市の造り酒屋の長女として生まれました

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小学校時代から成績優秀で美術の才能も豊かだったそうです
高等女学校卒業後は日本女子大学に進みました
前回のNHKの朝ドラで、女子の教育のために
広岡あさ が尽力した大学でもあります

現在の”ととねえちゃん”のモデル
小橋常子さんも、雑誌”青鞜” を読んで新しい女性に
目覚めるシーンがありましたね
”女性は太陽であった”(^_-)-☆



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卒業後は、洋画家の道に進み、平塚らいてうと出会い

智恵子は、その雑誌”青鞜”の創刊号の表紙絵を描いています



1912年(明治45年)光太郎に出会い、2年後光太郎との生活を始めます
1929年生家が破産
1931年ごろから総合失調症の兆候があらわれ
1935年、50歳で南品川の病院に入院
1937年ごろから、病室で紙絵制作が始まる
翌年53歳で亡くなる

1941年、高村光太郎が”智恵子抄”を刊行





中は見学できるようになっています
(入館料=410円)

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10年以上前に一度訪れた時は
もう少し当時の面影があって自由に観ることができたのですが
色々なものが展示されていて

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少し様子が変わっていました
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今回、最初からこちらに寄ろうと思っていたのですが
先に行った美術館で、セットのチケットがあることを知り
合わせて600円の入館料でした^^



 ~あどけない話~

智恵子は東京に空が無いといふ。ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは、
切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。


安達太良山と阿武隈川の見える、光太郎と智恵子が並んで眺めたと思われる場所は
現在は広場になって展望台がありますが
この日は雨模様で諦めました
また近いうちに行ってみたいと思っています。


中学生の時、高村光太郎の”道程”という詩は
教科書に載っていたのでしょうか?

智恵子抄は、そのころに買った単行本を今も持っています

この後は隣接する智恵子記念館へ・・






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by sarasunanikki-yk | 2016-05-23 14:46 | ◇文学館・記念館・ 本・詩歌など