花巻温泉への旅  その7  高村山荘

”現存する光太郎の山荘と記念館”

この季節 道端は 花でいっぱいです
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車を駐車場に止めると 記念館・山荘の受付があり
最初に記念館が見えてきます
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山荘へは 記念館の手前の道を 左に入って行きます
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光太郎が 野菜などを作っていた畑です
当時 まだ珍しかったアスパラ ピーマンなどを作って
地元の方に分けて 喜ばれていたそうです
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トイレ・・・
来客の多い山荘に 自分で作ったトイレは
月光殿と名付けられています

明かりとりに ”光”の文字が彫ってあり
彫刻家らしい 芸術的な光が差し込む このトイレは
彼の 一つの作品でもあると言えます
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住んでいた 小屋の居住部分は
囲炉裏のある 板敷きの 狭くて粗末な物でした
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疎開当時は 宮沢賢治の弟清六の家に居ましたが
その賢治の実家も空襲に合い
その後 この不便な一軒家の小屋に移ったのです
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現在この山荘は 当時の街の人々が保存のために
木造で回りを囲む建物を作り
後に 老朽化が心配されて
さらに周りを囲む鉄骨の建物がたてられ
二重に囲まれた なかにありますが

山荘自体は 当時のまま
自然の中で ナチュラルに生きた光太郎の面影を
損なうことなく 保存されています

入口には 宮沢賢治を世に送り出すことに
光太郎とともに尽力した 草野心平の額があり
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中には 今まで知らなかった光太郎の一面がわかる
たくさんの写真や原稿などが展示されています
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光太郎がこのんで散歩した 山荘の裏山からの眺め
ここから時々 亡くなった 妻智恵子の名を呼んだという話から
”智恵子展望台”と名付けられました
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光太郎は 極寒の冬を越しながら
7年間自給自足で 好んで この小屋で過ごしました
それは 戦争中に戦意を上げるために書かされた
多くの詩について 自らが 不便で貧しい暮らしをすることで
少しでも謝罪したいという 懺悔の気持ちがあったからだということも
ここを訪れて 初めて知り
そんな光太郎の 人物と生き方に また魅かれていく私でした 

   みちのくの 花巻街にひとありて
       賢治を生みき 我をまねきき
  光太郎

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長くなってしまったので 記念館は 次に・・
   
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Commented by lovely_padme_37 at 2013-05-21 15:50
智恵子の名前を呼んでた・・・って悲しくて叫んでたって事なんでしょうか?
今でこそ精神の病気ってたくさんあるんだなぁと思うけど昔習った頃の中学時代は智恵子さんの事が理解できなかったなぁって・・・

トイレは勿論 今は使ってないのですよね?

ご主人と同じ趣味を持ってて楽しそうですね (^^♪
Commented by sarasunanikki-yk at 2013-05-21 17:59
padさん
そうかな?哀しく懐かしく・・・かな?

そうですね。私も あの智恵子に関する色々な詩は
当時ちゃんと理解できなくて、それだけに印象に残っているのかもしれません。
智恵子は日本女子大出身で、裕福な造り酒屋に育っていて、悩むことが合ったのでしょうか。
東京での暮らしがその原因でしょうか?
最愛の夫と一緒でもそうなってしまったんですね
”レモン哀歌”の初めの一節が思い出されます
Commented by sarasunanikki-yk at 2013-05-21 19:14
padさん  追伸^^
アットイレは もちろ使ってないし
入れないようにサッシのドアが付いて鍵かかってました^^

by sarasunanikki-yk | 2013-05-21 11:11 | ◇文学館・記念館・ 本・詩歌など | Trackback | Comments(3)