2015年 09月 19日
☆~9代続く旅籠・・"文豪の宿、ゑちごや"に泊まる~☆・・・2泊3日信州の旅⑭
「木曾路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり
あるところは山の尾を巡る谷の入り口である
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
(島崎藤村の夜明け前より)
奈良井の宿、ゑちごやは
寛政年間より木曽路を旅する人々に愛されてきました。
玄関口に置いてあります「旅籠行燈(はたごあんどん)は
江戸の昔から暖かい光を投げ掛けてきました。
多くの名もない旅人達、文豪-島崎藤村・正岡子規
野麦峠を越えて来た飛騨の工女たちもこの灯りを見て心をなごませたことでしょう。
現在もこの行燈は木曽路を訪れる人々の心に安らぎと旅情を伝えています
料理はすべて手づくりの味です。
(ゑちごやHPより)
その行燈は写し忘れて
宿泊した二間続きの部屋です
多くの文豪たちが、泊まった部屋です
昔の姿がそのまま
掛け軸、これもきっと有名な方が書かれたのだと思う
当主に、聞けばよかった
手前の部屋で食事をしました
奥の部屋の外から見降ろせば
中央本線
電車の音は、あまり気になりません
歴史を感じさせる座卓
使い込まれた漆器と茶器で
おいしいお茶を入れていただきました
電車が通った^^
堀口大学の額
この部屋に泊まったそうです
えっ!!これは・・
木堂って犬養毅のことでは・・すごい!
これは臼井吉見(安曇野出身の評論家・小説家)の額
トイレやバスは共同だけど、きれい
私たちは1階の部屋、もう一組は2階の部屋で
二階の方は、トイレもお風呂も1階に降りてこなければならず
かなり遠そうです
当時の物をちゃんと残しながら
もう少し手を加える方法(良い状態で保存するためにも)が
ある気がしました。
でも、これだけの広さで、1日二組しか泊まれないので
経営も保存も、大変なことだと思います。
それと、このあとUPする晩御飯は
旅館というには、ちょっと寂しい感じでした
歴史もあるし、山奥のことなので
決して豪華な食事や、贅沢な物を望んでいたのではありませんので
この貴重な建物に泊まれたということで
満足しなければ・・ですね(*^_^*)
もうずいぶん前になりますが
津軽で太宰治の旧居に泊まった時のことを思い出しました
学生の頃から太宰が好きで、その小説のほとんどを読み
津軽という小説の太宰の足跡をたどる旅でした
太宰の生家は、地元の大地主でもあり名士でもあったので
階段や部屋の造りは豪奢で
斜陽そのものでした
やはり二間続きの鍵のない部屋に泊まりましたが
当時の津島家の豊かさがしのばれる
金色の屏風が印象的でした
今は、斜陽館という記念館になっています
この後は、夕食です
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